シッキム、ダージリン, カリンポン
Sikkim, Darjeeling and Kalimpong in India

 

シッキム王国の昔の2回目の首都だったペマヤンツェからのカンチェンジュンガ(現地の発音はカンチャンジャンガ)
Kanchanjangha 8598m from Pemayangtse, Pelling

     シッキムはネパールとブータンにはさまれた、人口は5〜60万人とインドで最少の州である。州都はガントック、昔のシッキム王国の首都であった。シッキムは1975年にインドに併合された。王政による圧政に耐えかねて併合されたことを喜ぶ人と、併合されたことを今でも恨む人がいる。インドは住民の懐柔のためか、投資を進め、道路などのインフラはネパールに比べればはるかに良い。悪い冗談で言うと、もしネパールのモタモタが続くようならインドに面倒を見てもらった方が良い、とも思うくらいである。
    ネパールが最大の版図を誇った昔、領土は現在のシッキムにまでかなり食い込んでいた。また、英国がインドを植民地としていた頃はダージリンや恐らくカリンポンもシッキム王国の一部であった。インドの夏の暑さから逃れるため英国人は避暑地を求め、シッキムからダージリン等をインド植民地に割譲させたのである。また労働者としてネパールから人が流入した。ネパールからの出稼ぎは現在でも続いており、シッキムやダージリンはネパール語が共通語になっている。従って、ネパールにいる時と余り感じは変わらない。ネパールの金持ちの子女は留学先としてダージリンに行くことも多い。
   シッキムに昔から住む人々はレプチャと呼ばれ、日本人によく似ている。かの昔、河口慧海はシッキムの人が姿・形だけでなく性格も日本人によく似ているので、日本人のルーツはシッキムではないかと研究を呼びかけたくらいである。私は共通のルーツを持つ人々が、方や日本に、方やシッキムに移動したのではないかと勝手に考えているが如何なものであろうか。

  ダージリンにはシェルパも流入した。ヒマラヤ遠征時代が始まった1920年代、ネパールは鎖国をしていたため、エベレスト遠征はダージリンからチベットに抜け、北側からエベレストを狙った。シェルパの高所能力や有用性に気がついた遠征隊はシェルパを積極的に活用したのである。従って、ダージリンがヒマラヤ遠征の基地となり、シェルパの供給地になったのである。
  エベレスト登頂に成功したインド政府はノルゲイ・テンジンを讃え、彼にインド国籍を与え、またヒマラヤ登山学校(Himalayan Mountainering Institute)を設立し、彼を初代校長にした。テンジンの墓は敷地内にある。
  余談であるが、戦後ネパールが開国し、またチベットが中国に併合、閉鎖されたため、ネパールヒマラヤへの基地はカトマンズとなった。ネパールのシェルパ(この場合のシェルパは民族としての意味ではなく、グルンやタマン、バウン等も含めたガイドやHAPの意味)も力をつけ遠征隊の高所ポーターとして活躍したのである。遠征隊が少なくなった今、彼らは商業登山隊やトレッキングのガイドや代理店として成功している人も多い。

  中印紛争のあおりを受け、シッキムなどとチベット国境は閉鎖されたり、周辺を含めてかなり入域が制限されていたが、最近緩和されつつあり、ナトゥラも通行が解除されたようである。今後、シッキムには入りやすくなるかもしれない。シッキムにはトレッキングコースが沢山あり、6000m級のトレッキング・ピークやカンチェンジュンガなどのヒマラヤ高峰も沢山ある。なお、シッキムに入るにはインド・ビザと別途ビザが必要である。私はダージリンで取ったため、二つの事務所を行ったり来たりさせられ、えらい時間がかかった。

  河口慧海に関連して:河口慧海は約110年前に、チベット潜入前にダージリンでチベット語等を勉強した。ダージリンに入るときにはトイ・トレインで知られる小さな蒸気機関車で山を登っている。トイ・トレインはまだ現役で動いているが、スピードが遅いので普通は車で入る。ダージリンはイギリス人の避暑地であっただけに、美しい街と期待していたが、人口が急増し、排気ガスや埃が多く市内はイメージと違った。カリンポンも河口慧海が滞在していた町であり、チベットへの要衝であった。ここも旧市内は期待と違った。
    タイガー・ヒル:ダージリンに近いカンチェンジュンガの展望台。日の出を見に沢山の外人観光客が行く。ポカラにいた贔屓目で言うと、ポカラの方がヒマラヤにはるかに近く迫力がある。 

 

ダージリンからのカンチェンジュンガ
 Kanchanjungha from Darjeeling

 ダージリン近くの茶畑とカンチェンジュンガ
Tee Garden near Darjeeling

 カンチェンジュンガ(と思うが違うかもしれない)
probably Kanchanjangha

 カブルー北峰7353mと南峰7338m(左)
 Kabru North 7353m and Kabru South 7338m (left)

 シムボー 6704 m (多分)
 Simvo 6704m

 シニョウチュウ 6778m (多分)
 Siniouchu 6778m

 

ダージリンの整備場の トイ・トレイン
 Toy Train in Darjeeling

 ヒマラヤ登山学校の入口
 Himalayan Mountaineering Institute in Darjeeling

 

 

 ルムテック寺院 (チベット仏教の四大宗派の一つカギュ派の総本山。跡目の正当争いがあり、分立)
Rumtek Monastery near Gangtok

ペリンの 旧シッキム王国の城跡(2番目の首都)シッキム王国の最初の首都はルクサム、三番目は北シッキムで最後が現在のガントックであった。
 Rabdantse Palace ruins at Pelling

 カリンポンの近くの乗り合い自動車。ネパールでもお馴染みの風景。日本人によく似た顔の人もいる。

テミの市場の風景。固形石鹸と豆類、果物等の座売り

 

home

 menu