国際山岳博物館活動報告
|
| はじめに ネパールのポカラにある国際山岳博物館（IMM）は、日本の登山界が大きく関わり多大な支援をした、日本にとって馴染みの深い博物館である。2004年4月から2006年4月までこの博物館で2年間ボランティア活動をした。この活動は国際協力機構（JICA）のシニア海外ボランティア(SV)としての派遣であった。国際山岳博物館へのJICAからの派遣は私が2代目。初代は北海道の安藤久男さんである。山岳博物館の設立の準備段階からオープニング直後までの2年間ご尽力された。私への要請は山岳博物館運営というものであった。しかし、資料収集、展示の計画、設計・制作等の学芸員の仕事を始めとして、管理、財務、広報・宣伝、教育、図書室、土産物売店から掃除まで何でも関わった。 国際山岳博物館とは この国際山岳博物館の設立は、ネパール山岳協会（NMA）の元会長の故ダワ・ノルブ・シェルパ氏の永年の夢であった。1985年8月に博物館用の土地として51,000平方メートルの土地がポカラに購入されている。残念ながらダワ・シェルパ氏は完成を見ずして1997年に亡くなった。地鎮祭が行われたのは土地が購入されてから10年経った1995年12月である。しかも資金の乏しいネパールのこと、それからが大変で、仮オープンが行われたのは2002年5月29日であった。この時には田部井淳子さんやエベレスト最多登頂記録をもつアパ・シェルパさん等が参加している。 正式オープンは2004年2月5日で、ネパールのタパ首相も参列して行われた。多額の支援をした日本からは約100人が参加したとのことである。記念式典の夜、ホテルで行われたパーティでの挨拶で、その後のヘリコプター事故により今は亡き、ハルカ・グルン博士が「国際山岳博物館と言っても、外国人は日本人ばかりじゃないですか。他の国からは？これでは国際山岳博物館とはいえない。」と、述べたそうであるが、欧米諸国の関心は日本ほどは高くはなかったようだ。 日本の山岳界では、NMAの要請に応え、日山協、労山、JAC、HAJ、日ネ、HAT−Jの山岳関係６団体が連絡協議会を立ち上げ、募金により2千万円＋αの支援を行なった。ポカラに行ってから分かったことであるが、他の国々からの支援は物的なものが多く、お金の支援は少ない。日本からの支援がダントツに多かった。 ネパール着任まで 初めて国際山岳博物館の存在を知ったのは、HAJの「ヒマラヤNo.385」であった。2003年12月号で、JICAのシニア海外ボランティアに応募した頃である。この「ヒマラヤ」により、IMMからマネジャーのナビン・ギミレさんが日本の山岳博物館に研修に来ていたことを知った。しかし応募はしたものの私が合格するかどうかはまだ分からない段階である。ポカラ着任後の私の活動は、ナビン無しには考えられなかった。 会社の定年にはまだ暫くあったが、幸いSVに合格したために、思い切って早期定年退職をした。ポカラの安藤さんと連絡をとり、ナビンが研修を受けた「大町山岳博物館」や「立山カルデラ砂防博物館」などを訪問し教えを受けた。両館ともポカラの博物館の状況は直接・間接に知っているため有益な助言を頂くことができた。 1月に開催されたHAJのヒマラヤ会議にて、山森理事長や八木原圀明さんにお会いし挨拶をした。日本山岳会側でご尽力をされた松田雄一さんにも挨拶に伺い、多くの貴重な助言を頂いた。松田さんにはポカラ在任中に、ある件で大変な助けを頂いたものである。 カトマンズ着任 会社を急遽退職しての送別会続き、赴任前のJICAの研修、山岳関係者への挨拶まわり、引越し荷物の準備とあわただしい日々の後、日本を出発したのは2004年4月6日だった。ネパール着任のSVの同期は女性3人を含む7人。若い頃ヒマラヤに憧れ、実現できないまま今日まで来てしまったが、やっとネパールに行ける。しかも山岳博物館というヒマラヤに関係する仕事である。出発の日、ワクワクしすぎたのか、リュックサックを一つ家に置き忘れて成田空港に行ってしまった。途中、バンコックに駐在している旧友に再会し、ドジな事情を話すと、当面の着替えをデパートで買ってくれた。持つべきものは友である。 カトマンズの空港着陸前には、飛行機は尾根上の民家を眼下にかすめるように降下して行く。これがネパールかと、食い入るように見下ろしたものである。 到着した7日には早くもネパールの洗礼を受けた。マオイストによるバンダである。マオイストとは、ネパール共産党毛沢東主義派（CPNM）のことである。バンダとはネパール語で閉めるという意。簡単に言えば交通ゼネスト。但し、普通のゼネストは自分達の要求を通すためにストライキをするが、バンダはマオイストなどある特定の団体が一般の人にやるように強要する。指示に従わずに車を走らせたり、店を開くと後で報復を受けることがあるので、従わざるを得ない。たまに走る車やバイクは報復をされないようナンバープレートを外したり、カバーをして番号を隠している。バンダを指示するのはマオイストだけとは限らないが、当時はマオイストまたはその関連団体が多かった。バンダはネパール名物のごとくなり、各種の団体がやるようになった。 幸い青色ナンバーの外国人用の車は走れるため、我々の車はホテルに着いた。バンダのためカトマンズの市内は車も少なく閑散としていた。波乱の2年間の幕開けであった。 私個人にとっての波乱はまだ続いた。JICA事務所でのオリエンテーションに行くある朝、目に沢山の黒い点がボタン雪が降るように見える異常を感じた。眼医者に行き眼底検査を受けると、すぐに眼科の専門病院に行くように言われた。紹介されたトリガンガ・アイ・ホスピタルで診察を受けると、何と網膜に穴があいている網膜裂孔であった。放っておくと網膜剥離になりかねない。すぐにレーザー治療をする必要があるとの診断。これには驚いた。日本に帰り処置をすることも考えられたが、現地でやっても大丈夫だろうというJICAの日本の顧問医の判断により、翌日そのドクターにお願いすることにした。幸い、そのドクターの腕は確かで、網膜の穴は沢山のレーザー照射によりふさがった。病院の窓口での診察料25ルピー、レーザー処置料は500ルピー（800円程度）であった。前述の個人の眼科医の診察代は1000ルピーと大違い。この病院は安くて良い眼科病院のためか沢山の人が列をなしているが、外国人のためか優先的に席を空けてくれ、親切に甘えてしまった。 レーザー治療の術後の経過を日本で診察してもらうために、赴任早々一時帰国する羽目になった。日本ですぐにOKが出てカトマンズに戻ったものの、バンダが頻発し、なかなかポカラに着任できない。他の6人の同期生は皆カトマンズが拠点で既に活動を始めており、若干の焦りを感じた。ポカラにやっと着任したのは5月も下旬であった。 ポカラの住居は、前任の安藤さんが借りていたポカラ空港の近くの家をそのまま借りることができた。メイドも日本から安藤さんの奥さんにお願いしていたように、安藤さんのメイドがそのまま働いてくれることになった。申し訳ないことに、カトマンズ出身の彼女は、新しいサーブは来ないは、長い間連絡がとれないはで途方にくれていたようである。安藤さんの奥さんはじめ歴代の日本人の奥さんが仕込んでくれたお陰で日本料理が上手で、ポカラの我が家を訪れた客人にも大変好評であった。 ポカラの国際山岳博物館の概要 さて、ポカラの国際山岳博物館の話となる。 博物館のあるポカラはアンナプルナやダウラギリの玄関口である。ポカラのような大きな街から、8000m峰を三座も含むヒマラヤの雄大な眺めは世界の他にないだろう。川口慧海師も約110年の昔チベット旅行記で、ポカラはネパール第一の美しい都会、と称えている。 「ヒマラヤ」の読者にはポカラの山岳博物館を訪れた人が多くおられると思うが、概略を紹介しよう。場所はポカラ空港から南、フェワ湖からは南東に位置し、セティ・コーラ沿いにある。シャングリラ・ホテルにも近い。51千�屬旅�大な敷地の中に、建築面積が3110�屬稜酳�館の建物と、別途レストランや伝統的な民家を再現したビレッジがある。IMMの庭からのアンナプルナ連山の眺めは素晴らしい。中央にマチャプチャレが聳え、その左にヒウンチュリ、アンナプルナ�喫�からアンナプルナ・サウスと続き、少し離れてダウラギリとなる。右はアンナプルナ�掘↓犬�らアンナプルナ�曲�が目立ち、ラムジュン・ヒマールとなる。少し離れて、マナスル、P29（現在はハルカ・グルン・ピークと改称）、ヒマルチュリのマナスル3山へと続く。まさにこの眺めが自然の博物館であり、博物館の館内からもこれらの山々が見えるように設計されている。残念ながら、ヒマラヤはいつでも見えるとは限らないのが玉に瑕。せっかく訪れた人が、ヒマラヤが見えないと苦情を言う時もあるが、こればかりは仕方がない。 博物館の陳列コーナーは大きく分けて、登山、自然史、民族の三つに分けられる。この三つの構成は世界の山岳博物館にほぼ共通しており、大町山岳博物館しかり、ダージリンのヒマラヤ登山学校の博物館、ツェルマットの山岳博物館なども同様である。 入口に入ると２階からほぼ全館が見渡せる。大森弘一郎さんの巨大なヒマラヤの空撮写真が目を引く。 階段を下りると左側に映像ルームがある。 展示はまず民族コーナー。タマン、タカリ、グルンやシェルパ等のネパールの民族の衣装や生活道具が周囲に展示されている。オーストリアの寄贈による、アルプスの昔の人々の暮らしと、現在のネパールの山地の人たちの暮らしの共通点を紹介した写真が中央にある。私が所属する山岳会の杉山脩さんから寄贈して頂いた木版画も展示している。また、ネパールの登山学校の指導に協力したスロベニアの民族衣装と写真の展示。日本からは秋田県の矢島町から寄贈された雪国の生活用具等の展示がある。2007年に再訪した時には、新たに台湾の山岳民族の展示が追加され、また大きな砂絵曼荼羅が制作中であった。 真ん中が、自然史コーナー。まず、8000m峰14座のパネルの展示。中央には地質関係の展示がある。インド・オーストラリア・プレートが移動し、南極付近にあったインド亜大陸がユーラシア大陸と衝突し、そして隆起してヒマラヤ山脈が形成される説明と、それに関係する岩石や化石が展示されている。また最近話題になっている、地球温暖化による氷河湖の拡大及び氷河湖決壊洪水の展示もある。 周囲の壁と鉄骨の柱の周囲には大森弘一郎さんの大型空撮写真を含む、ヒマラヤ8000ｍ峰の展示。そして私が撮影した高山植物の写真とWWFのコーナー。ACAPのコーナーが大幅に増やされ、ユキヒョウと普通のヒョウやその他の動物の剥製がある。ネパールの国鳥のダッフェの剥製が展示されている。剥製技術が悪いためか、鳥が立っているのではなく横たわっているのが気にはなったがそのままである。 そして、川口慧海師のコーナーと、ネパールを世界に紹介した、地質学者のトニー・ハーゲン博士のコーナー。2005年に遺品を寄贈されたトニー・ハーゲンの娘さんが来館し、盛大な披露式が行われた。 なお、NMAとも関係が深く山岳博物館の建設にも寄与され、後に不慮のヘリコプター事故により亡くなった、故ハルカ・グルン博士の遺品の展示コーナーが2007年に作られた。その結果、川口慧海師のコーナーがやや狭くなっていた。 一階の一番奥の展示エリアが登山コーナーである。8000m峰14座の初登頂に関わる展示が最初にある。マナスルを初登頂された故今西壽男さんの登山用具や写真、ノートの記録などが大きなスペースで展示されている。アンナプルナはモーリス・エルゾーグ、カンチェンジュンガはジョージ・バンドとそれぞれ初登頂者の登山用具が展示されている。また女性によるエベレスト初登頂の、田部井淳子さんのパネルと登山用具を展示したコーナーがある。 1988年の日本・中国・ネパール三国友好登山隊によるチョモランマ交差縦走で、日本からの出発の記念写真のパネルがあり、若い時のご自分の姿を見て懐かしがっているクライマーが何人かおられた。 英国から寄贈の、エベレスト遠征における1921年の第1次遠征から1953年の初登頂までの写真の記録は貴重なものだ。オーストリアやスロベニアの遠征写真もある。 登攀用具を多数展示したコーナーもあり、もっと充実させようと思ったが手がまわらなかった。環境では、野口健さんがエベレスト清掃登山で集めた登山隊の遺棄品と写真が展示されている。イエティ伝説を集めたコーナーもある。若干お遊びのイエティのモデルは愛嬌があり、エベレストの大きな模型とともに写真撮影に人気がある。 山岳博物館に来られる外国人の殆どはアンナプルナ・エリアのトレッカーであるため、アンナプルナ・エリアの風景写真を撮影し、トレッキング・コーナーを追加した。 ２階には外部団体からIUCNと、氷河湖決壊洪水の調査で日本でも最近名前が知られ始めたICIMODのコーナーがある。 そして、図書室。ヒマラヤ関係の多くの図書は最初からIMMで集められた。日本やネパール、また外国からの寄贈図書も多い。安藤さんからの寄贈や、カトマンズ・クラブ・ハウスの山田知充さんからは多数の貴重な蔵書が寄贈された。またアンナプルナ・サウスを初登頂された吉野煕道さん、木村雅昭さんなど沢山の方から寄贈して頂いている。私も所属山岳会の先輩と一緒にHAJの「ヒマラヤ」と「岳人」や自分の本を寄贈した。その結果、私が帰る2006年4月には蔵書は約800冊増えて、約1800冊となった。 ２階の目玉の一つは、博物館の中にあるとは思えない本格的なチベット仏教の御堂である。チベット仏教の寺に参る機会のない人には好評だ。NMAの幹部の多くがチベット仏教徒であり、IMMのプジャでもよく使われる。地元ポカラでIMMの面倒を見てもらっている、ドラゴン・ホテルのハリドージ・トラチャン氏はツクチェの有力なチベット仏教の寺の出身のタカリー族の僧侶でもあり、祭祀関係に尽力もしている。子供の頃チベットから難民として逃れてきたソナムさんがこの御堂のガイドをしている。 博物館の庭園にある施設 博物館の入口左手前の庭には、石を積み上げコンクリートで固めたマナスルのモデルが建てられている。高さは10mくらいで、上に登り一周する道がつけてある。写真を撮ったり、子供たちが尖った頂上まで登ったりと、結構人気スポットだ。日本だったら、頂上まで登るのは危ない、と禁止されるだろうが、さすが山の子、軽々と登ってしまう。 マナスル・モデルは登攀できるように、一部が壁となっておりU字型の鉄棒を埋め込んだ支点を作ってある。カラビナやザイルなど登攀用具の使い方を知らない博物館のスタッフに、クライミングの実演をして見せたりもした。 2006年初めに、フランスから屋外の本格的なクライミング・ウォールの建設の話が舞い込んだ。2月にフランス大使と設計・施工をするアンリ・シガイレ氏等が訪れ、鍬入れ式が行われた。シガイレ氏はフランス人としては1979年にアンナプルナ1峰の第2登をした元クライマーである。シェルパニと結婚しカトマンズに住む陽気な人だ。人工壁の設計をし、奥さんと一緒にIMMのビレッジに住み込み、施工及び四人の作業員の監督をした。クライミング・ウォールというから、日本のジムの人工壁をイメージしていたら、コンクリートブロックとホールド用の石を鉄筋とコンクリートで固めて作り上げてしまった。マナスル・モデルもそうだが、ネパールの材料を使い、ネパールでできる技術でネパール人と一緒にやるという、援助の良い例である。壁の高さは20ｍ、三つの垂直尾翼を立てたような壁から成り、それぞれの裏表の合計6面の垂直の壁が取れる。なお、同氏はカカニの丘でも人工壁を自ら設計・施工・監督し、寄贈している。 NMAからクライミング指導のスタッフを派遣すると言っていたが、実現できていないようだ。 山岳博物館での活動 IMMに着任した当初は施設や展示、運営オペレーションをじっくりと観察した。そして問題点と課題・改善策をまとめあげた。博物館は作り上げたら終わりというものではなく、存在する限り改良し続けなければならない。2004年2月の正式オープンに間に合わせるべく、ラッシュで仕上げた部分もあり改善の余地は多々あった。入館者の分析により如何に入館者を増やすか、魅力ある博物館にして収入を増やし、経営を軌道に乗せ、最終的にはNMAに頼らなくても経済的に自立できるようにしたいという希望を持っていた。そのためにはビジネスやマーケティングの視点も欠かせない。 カトマンズのNMAの本部に行き、アン・ツェリン・シェルパ会長や当時の事務局長のブミ・ラル・ラマさん、前会長のタシさん、IMM担当委員会の委員長のディネッシュ・グルンさん、その他のNMAの幹部に集まって頂き説明をした。なお、ブミさんはIMMの運営に一番深く関わっており、また、2005年のNMAの役員選挙で第2副会長となった。プレゼンは非常に好評を博し、コスト計画とスケジュールを加味したビジネスプランの作成を依頼された。 事業計画の作成は経験上慣れたものであった。コスト試算はナビンに協力してもらった。約2ヵ月後に幹部にまた集まって頂き、NMAの本部でプレゼンを行った。賛同と評価を受けたため、「実行してよいですか」と確認すると「Yes！」の声。NMAの幹部の了承を得たため、すぐにでも実行できると思ったら甘かった。NMAの内部にも役員会の了承等、いくつか手続きがある。再度申請書を提出し、承認手続きを経ないと資金は送金されて来ないということが後に分かった。NMAの中には他の事業に力を入れたいという役員もおり簡単には送金してこなかった。ナビンにNMAとの折衝で苦労してもらいながら少しずつ予算を確保し、実施していった。1年間の事業計画は資金難から2年間で実現するのも難しく、私の活動予算を含め、計画の軌道修正をしながら実施していった。 山岳博物館のスタッフ（１） IMMに着任した時、ジャラック・タパさんという館長がいた。ナチュラリストで論客でもあったが、NMAの幹部とは合わずに7月頃に辞めた。タパさんの後任として、ディネッシュ・グルンさんがなった。熱心で意欲はあるが、カトマンズ在住の兼任で腰の調子も悪く、ポカラには時々しか来られない。約1年でNMAの役員とともに退任された。 その年の12月、パイロットをしているタパさんのお嬢さんと、医者のお相手との結婚式ならぬ婚約式があり招待を受けた。広大な庭のある屋敷に住んでおり、しかも多数の招待者がその庭を埋め尽くしたのには驚いた。後に他の人の結婚式に招かれたこともあるが、結婚式なみの盛大な婚約式であった。さすが有力者は違う。 IMMには次のようなスタッフがいた。学芸員としてライさん。民族関係が専門の、まじめで経験豊富なベテランである。残念ながらITには無縁であった。ナビン・ギミレさんは土木エンジニアとしてIMMの建設に初めから関わり、その後、管理・設備・運営等全般の責任者だった。能力があり博物館や事業としてのセンスも良い。NMAの信頼も厚く、私の最も頼れる人であったが、変なことでNMAの幹部の不興を買ってしまい、ライさんが上司になった。段々とやる気を失ってしまい、最近、家族でアメリカに渡ってしまった。 経理・総務マネジャーはリシ、そして総務で日本語のできるラジャンと、コンピュータの得意な女性のミラ。彼女には資料をよく作成してもらった。館内ガイドのビカールと仲良くなったが、ネワール族の彼女の親はタマン族との恋を許さず、泣く泣く退職を余儀なくされてしまった。コンピュータを専攻し、ソフトに強いアカシ。彼にはフォト・ショップの使い方などコンピュータを大分教えてもらった。そして、ラメス。余り勤勉とはいえない彼はイタリアに行ってしまった。ハンサムなラメスはイタリアで、もてているかもしれない。 以上が、事務所のスタッフである。他に学芸員のライさんのスタッフとして、館内ガイドの男性が２人、図書室を含む館内スタッフとして女性２人と、御堂のチベット難民のオバちゃん。入場券売り場の女性１人、入場口の男性1人、土産売り場や展示品取り付け、設備保全、園芸、購入等で男性が4人と、そして清掃部隊の女性が4人である。その他にも警備会社の人が数人常駐しており、気のいい彼らは受付やAVルームのDVD操作までも手伝っていた。警備会社からのボスは元警察の幹部でプロレスラーのような大男。空港の警備の責任者をしていたことがあるため顔が利き、ポカラ空港を利用する時は非常に便宜を図ってもらい助かった。 ご存知の通りネパールは多民族国家である。IMMのスタッフも多様な民族構成であった。バウン、チェトリのインド系は勿論として、ライ、タマン、ネワール、タカリ、チベット難民等のチベット・ミャンマー語族、と様々な民族のスタッフがいた。 山岳博物館のスタッフ（２） 一般のネパール人は登山や山の名前には余り関心はなく、山の名前も殆ど知らない。IMMのスタッフも何人かを除いて、地元ポカラから見える山の名前も、マチャプチャレ以外は殆ど知らない、とわかった時はびっくりした。IMMから見える山の名前と標高、初登頂者の国名をリストにして配布すると、すぐに覚えようとしてくれた。 一般のスタッフは山の名前も知らないほどだから、登山また登山史は勿論のこと地質や岩石・化石の知識も浅く、IMMの展示物も余り理解していなかった。知っている人も部下に教えようとは余りしない。展示物が傾いていても気にしない、蛍光灯が切れていても気にしない。問題点があっても、指示を待つだけで、自らで動こうということは少ない。教育・指導や、指示・ミュニケーションのシステムを作るのも大事な仕事であった。 スタッフの人数が多いな、と思われる方も多いだろう。この規模の博物館としては、学芸員の人数は少なすぎ、逆にスタッフは多すぎる。NMAに学芸員を増やすよう何度も掛け合ったが色々の理由で実現できなかった。 スタッフの勤務で、最初おかしいなと思ったのは、始業時間通りに来ないし、いつの間にか事務所からいなくなる。遅刻やいなくなった部下を見ても管理者は注意しようとはしない。管理者の啓蒙から始め、管理者を通じて徹底させるようにした。 毎朝遅く来るスタッフがいたので、何故かと聞いたら、感心なことに早朝に学校で勉強してから来るとのこと。ネパール人は勉学熱心な子が多く、結構努力をしている。仕事を得られないため学費を払えずに途中で学校を断念する子や、せっかく学校を卒業しても仕事につけない人も多いため、IMMで職を得た人は幸せである。
ネパールに行ったことのある人はご存知の通り、ネパール人は性格も比較的温和で人懐こく、外国人は大事にしてくれる。モンゴル系はある意味で日本人とよく似ているし、インド系も穏やかだ。人口の多い中間の山岳地帯や盆地は気候温暖で、住むのには大変良い。インドには申し訳ないが、インドにいると油断ができないことがあり、きつい視線に緊張もさせられる。インドからネパールに来ると柔らかな雰囲気にホッとする、とはよく言われることである。 IMMでのスタッフの仕事には多少（かなり？）目をつぶらないといけないが気持ちよく仕事ができた。貧しくても子供の目が活き活きしている、ということは日本から訪問した人がよく指摘することである。日本では失われつつある、家族や隣人を大事にすることも見習うべきことだろう。男は遊びやギャンブル好きが比較的多く働きも悪いが、逆に女性はよく働く。また、低所得者層の方が貧しいがゆえか、真面目によく働く。その割に報われないのが可愛そうだ。 ネパールは農耕社会からの開発途上にあり、企業組織における管理やマネジメントの歴史は浅い。学校でマネジメントの勉強をしている人でも概念としては理解していても、実際に行動するのは難しい。ネパール人の食事の伝統的なタイミングが就業時間と合わないのも、職場での時間がルーズになる原因でもある。9時始業に遅刻をして、またすぐ軽食でいなくなる。役所では午後はいなくなり本業（？）にいそしむ人もいるようだ。IMMは昼食の時間はシフト制にしていたため、なかなか全員が揃いにくい。ネパールでもきちんとした会社や組織はマネジメントや勤務時間がしっかりしている。「IMMは役所ではない、勤務時間はちゃんとしよう、給料分くらいは働こう」、とよく言ったものである。外出予定を皆がわかるように記入ボードを作成してもらった。面白かったのは、記入欄に外出先を書くのは当然として、帰館予定時間ではなくて外出した時間を書くようになっていた。これではいつ帰って来るかわからない。 企画展・イベント 博物館は常設展示だけでなく、企画展やイベントによる集客も重要である。企画展にはまだ資料も十分でなく、資金面や力不足で実現できなかった。一方、イベントはNMAの力やポカラのトラチャン氏などの協力もあり事欠かなかった。お祭り好き、セレモニー好きの国民性も幸いしている。 一番大きなイベントは2004年12月に行なわれた国際山岳年の式典。時のデウバ首相も参列した。例によって長く多くのスピーチ・表彰のセレモニーと、各民族のマーチと踊り、沢山のブースも出展された。沢山の人で広大な庭も埋め尽くされた。マオイストの活動が華やかりし頃で、軍や警察のものものしい警備も多かった。その翌年2月の非常事態宣言でデウバ首相は2回目の失脚をした。 他には、サランコットから飛びレイクサイドに降りる国際パラグライダー大会や、ポカラ祭りへのブース出展や、庭園での先鋭的なオブジェのアートフェスティバル、学校の生徒による自然のエッセイコンテスト、等々。 印象に残ったのは開館2周年記念に、ポカラ盆地と周辺の公立学校から選抜された日本の中学校相当の生徒を集め、見学会と講演会が行なわれた。私はヒマラヤ形成の話を中心にパワーポイントを使い講義をしたが、皆熱心に聞いてくれ、質問も活発であった。私立学校との格差が広がっているネパールではあるが、公立学校も捨てたものではないと感心したものである。 山岳博物館の入場者 入館者数は2004年2月の正式オープン以来順調に伸びた。2004年2月から2005年1月の1年間の入場者数は34,400人、1日当り95人である。2006年1月までの次の1年間の入場者数は55,500人、1日当り154人で、前年比161％だった。入場収入の伸びは前年比132％である。入場者数の伸びに比べて入場収入の伸長率がやや小さいのは、入館料金の安い学生やネパール人の入館者数が大幅に増えたからである。ネパール国内でもIMMの認知が高まり、車や学校からの見学バスが駐車場を埋めることもあり、教育機関としての役割を果たしていることは喜ぶべきことである。 入場者数の構成比は、2005年の1年間では、学生が61％、ネパール人が28％、インド人が3％で、残りの8％がインド人を除く外国人であった。それぞれの区分で入場料金が異なり、外国人は入場料金が300ルピーと一番高いため、入場収入の構成比は48％、つまり収入の約半分は外国人の入館による。この点からもIMMはネパールの外貨収入や雇用機会を増やすことに貢献している。 外国人の入館者数のうち4割弱が日本人であった。日本人は土産品も沢山買ってくれるため、全収入のうち約2割が日本人によることになる。ついでに言えば、日本人の次に多かったのは英国人で9.8％、韓国人が7.5％、フランス人が4.2％、ドイツ人が3.8％と続く。 非常事態宣言後の混乱と回復 順調に伸びていた入館者数は、2005年2月の国王による国家非常事態宣言から3ヶ月間は前年実績を割ってしまった。外国人で賑わうレイクサイドもばったりとトレッカーが減少した。平和がネパールにとってもIMMにとっても大事なことだ。 非常事態宣言により国王は全権を掌握し、国王親政となった。非常事態宣言が発せられた2月1日から暫くは、通信遮断、交通ストップ、新聞・TVも止まり大変困った。市内の要所には銃を持った軍警察があちこち検問・警戒にあたっていた。外国人にとっては通信の遮断が一番困る。つまり電話ができない。電話ができないということはEメールもできない。日本の家族にも連絡ができないということだ。幸い、無線によりカトマンズとの連絡はとれた。JICAから日本の留守宅に無事との連絡はいっていた。 非常事態宣言から暫くはネパール名物のバンダがなくなり、2005年の秋からは入館者も大幅に増加に転じた。しかし、地方ではマオイストの活動が活発になり、我々の行動範囲も大幅に制限された。 帰国が近づいた2006年初め頃から反王制運動がさらに活発となり、帰国後の4月下旬に国王はついに権力を放棄するに至ったのである。 帰国後も毎年ネパールを訪問しているが、2006年秋頃から観光客は大幅に増え、IMMの入館者も大幅に増加している。単月ベースでは収支が黒字になる月も何ヶ月か出てきたようだ。 土産物売店 博物館の収益源として土産物の販売も大きい。博物館の本来業務ではないが収益を上げるには有効である。ところが従来からあった土産物売り場は品揃えや陳列の仕方が悪く、とても購買意欲をそそるものではなかった。しかも品揃えや補充仕入れは業者任せと、NMAの在庫を送ってくるだけで、担当は品切れしていても無関心というものだった。これでは売り上げが上がるわけがない。 そこで良質で適正価格のポカラの女性開発プロジェクトの布製品を加え、またカトマンズの業者をつつき売れ筋商品を捜した。外国人入場者が買いたくなるような品揃えにして、陳列什器を入れ陳列を改善したところ、売上げ・収益とも大幅に増えた。特に土産物を買ってくれるのは日本人であった。また、担当に売り上げ・在庫をアイテムごとにつけさせ、売り上げ分析と在庫・発注管理をさせるようにした。 ネパールでは企業家精神がある人はまだ少ない。国の状況が悪いと言って嘆くのみで努力をしようとしない人が多い。そんな中でも機転を利かせて事業をして成功している人を知っている。未開拓だからこそ、知恵と努力でビジネスチャンスは開ける。 トレッキング・ピーク？ いわゆるトレッキング・ピークはNMAが管轄する山である。但し、後述するように、トレッキング・ピークという名前は通称であり正確ではない。一般の山の登山許可料はネパールの観光省に納めるが、トレッキング・ピークの登山許可料はNMAに納める。その登山許可料がNMAの大きな収入源となっている。従って、IMMの不足する資金はトレッキング・ピークの登山許可料から補填されると言ってもよい。しかしながら、トレッキング・ピークについて具体的には余り知られていないし、名称から誤解を生みやすい。そこで登山者への啓蒙と、間接的にはIMMのためにもなるよう、NMAクライミング・コーナーを作った。NMAから提供されていた既存の写真と、自分で撮影した山の写真及び説明パネルを作成し、自分でもよい勉強になった。 前述したように、トレッキング・ピークとは通称であり正しい名称ではない。トレッキング・ピークという名前から、トレッキングのように簡単に登れる山と勘違いする人がいる。また、ＡＣＡＰやエベレスト国立公園の入域料のようなトレッキング・パーミッションだけで登れる山との誤解している人もいるようだ。 正確にはＮＭＡが指定したクライミング・ピーク（18座）とエクスペディション・ピーク（15座）のことである。標高が約５５００ｍから約６５００ｍの山が合計３３座ある。二つのグループでは料金体系がやや異なるが、一般の山より登山許可料金が安く、ブリーフィングが不要で登山手続きも簡単になっている。 グレードとしては易しい山から、困難な山や、日本人がまだ誰も登頂したことの無い山まで様々だ。例えば、エベレストやチョー・オユーの訓練登山として大変有名になっているアイランド・ピークのグレードはPDで易しい方に属する。メラ・ピークの一般ルートのグレードはFであり難易度は一番低い。メラ・ピークはアプローチの崩壊が進み、登頂よりも大変とも聞く。登山者はこの2峰に集中し、アイランド・ピークで全体の半数近く、メラ・ピークを加えると7割弱となる。無許可登山を取り締まるため、ＮＭＡから監視員が行くこともある。 一方、クスム・カングルーやシングー・チュリなどはかなり難易度が高く、登山者は非常に少ない。このような他の山にももっと登って欲しいものだ。 山岳博物館の植樹 2004年2月の正式オープンの時やその後も沢山の植樹の寄贈を頂いた。しかし、大変申し訳ないことに多くの木が枯れてしまった。せっかく頂いても、土壌や気候が合わないことがある。ポカラ平野の土地は数百年前のマチャプチャレの氷河湖決壊洪水による土石流や、何回かの土石流の堆積から成り立っている。IMMの庭を掘ると土石流による石だらけであり、水はけは大変良いが保水性に乏しい。標高が800ｍ前後のポカラは、バナナが採れるくらいだから結構暖かい。日本の植物をそのまま持っていってもうまくいかないことがある。現地の実情に合わないと失敗することがあり注意が必要だ。 一方、水はけが良く暖かいポカラにはコーヒーの木がぴったりだそうだ。コーヒーの木は日陰も必要で、IMMの庭の高い樹木の下にはコーヒーの木が茂っており、2007年には収穫が始まった。そのうちにポカラ産のコーヒーが有名になるかもしれない。 日本人と外国人のトレッカー比較 帰国後も毎年ネパールを訪れ、登山やトレッキングをしている。2006年以降、外国人の観光客は大幅に回復してきているが、日本人は余り増えておらず、2000年のピーク時の入国者数にははるかに及ばない。トレッキングのエリアにしても日本人はエベレスト街道や、ポカラ近辺ではプーンヒルなど有名なエリアが殆どで、しかも団体ツアーが多い。一方、西欧人は少人数で来て、現地でガイドやポーターを雇い、または雇わずに、日本人が余り行かないエリアにも平気で行く。例えば、ティリチョ・レイクやチョラ・パス、レンジョ・パスである。西欧人はアンナプルナ一周をする人が多いが、日本人はごくわずかしかいない。マカルー・BCに行ったフランス人に聞くと、フランスでは計画的にやれば一ヶ月くらいの休暇は容易に取れるようだ。西欧からは様々な年齢の人が来るが、日本人は中高年ばかり。天候が一番安定してトレッキングには絶好のシーズンである10月から12月には、多くの西欧人が楽しんでいるが、休みがとりにくい日本人はポピュラーなエリア以外は殆どいない。日本人が団体ツアーで行くのは言葉の問題もあるだろう。ツアー会社も人数が集まらないと催行できないから、集客がしやすく安全でポピュラーなルートと、特定の時期に集中してしまう。長期間の休みが取りやすい夏は、残念ながらネパール・ヒマラヤはモンスーンだ。 日本人ももっと長期休暇がとりやすくなり、ベストシーズンである秋から冬や、クライマーでなくても多少冒険的な要素を含む素晴らしいエリアに行って欲しいものである。
終わりに IMMで当初は、本来の技術移転としての経営・管理や教育・指導に力を入れようと思ったが、時間がかかり、成果・形としてはすぐに現れにくい。また、開発途上国のどこでもそうであろうが、母体は金がない。まだ、IMMは多少恵まれている方であった。2年間で形に残すことも必要なため、自ら資料収集、展示設計、展示物制作、取り付けをしてしまったことも多い。その結果、展示物としてはかなり改善され、評価も頂いた。日本や海外のガイドブックの会社にお願いしてIMMの紹介記事を掲載してもらったりもした。まだ、やりたいことは沢山あったが、残念ながら2年間では限度がある。それでも、過去の仕事の知識や経験、そして趣味をフルに活かすことができ、充実した楽しい2年間であった。 また、国の内外を問わず登山家や著名人、高官の方も沢山見学に来られ、案内や話をして面識を得たのも良い思い出となった。 沢山の山岳関係者からご支援・ご協力を頂きました。有難うございます。 |
|---|
|
|
|