ネパール人の暮らし
 Lifestyle of Nepalis

  

とうもろこしの実のもぎ取り、ナガルコットフェディ付近。最初、うしろから撮ったがちゃんと顔を撮りたくなり、写真を撮っていいかとたずねたら、即座にダメと断られた。写真撮影を嫌がる人も多いので確認がいる。

 

田植え。女性の農作業も普段着のままである。以前の日本を思い出す風景。田植えをしているのは女性ばかり。ポカラにて、2004年

ジャガイモの収穫。ここも女性ばかり。 (バクタプルの近く)

牛による耕耘。ポカラ平野は氷河湖決壊や洪水による土石流の堆積によりできているため、土地は石が多い。

脱穀のあと、稲藁を牛で踏み固め、コンパクトにしてから自宅の近くに運び、家畜の餌にするため屋外に積み上げておく。ポカラ、2005年

 

家畜用の餌運び。ポカラ、2005年

鋸により製材。ネパールに慣れない頃で写真を撮ったら金を要求された。ネパール語の達者な同行者がごまかしてくれた。カスキコット

 

 オモチャ売りとカバン売り、と座売り。パタン、2004年

インドラチョークの土産物店。2004年

 山岳博物館のクライミングウォール作り。機械を使わず20mの高さをコンクリートブロックと鉄筋コンクリートで作り上げた。2006年

ダサインの祭りに欠かせない、マリーゴールドの飾り売り。ニューロード。2005年

 婚約式の舞台。この席に二人が座る。有力者の家の婚約式は結婚式並みに盛大だった。2004年

婚約式のセレモニーで娘さんを気遣う両親。彼女は航空会社のパイロット。お相手はドクターである。

 

博物館のマネジャーのナビン・ギミレ氏の結婚式。ポカラの新婦の家での結婚式に到着。2005年

ビンのカトマンズの自宅での披露宴の会場。正面は新郎のお母さんと甥。奥に新婦が座っている。

結婚1周年記念式のロシュナとプロビン。二人は職場結婚である。親類と関係の深い知人をレストランに招待。プロビンはNTBのエリート。ロシュナはネパール語のわが家庭教師。

2006年12月にポカラを再訪した際、家も訪れた。息子のオウム君も大きくなっていました。赤ちゃんが生まれた頃、10歳チョッと位の田舎から来た子をお手伝いに雇っていた。格差社会ではある。

 モンジョでのシェルパ族の葬式に参列をさせてもらった。

チベット仏教の有名な寺のボダナート。境内に川口慧海の碑がある

 ヒンズー教と仏教の聖地のムクチナート。金持ちのインド人は寺の直下までヘリコプターで来て参拝、聖水をかけてすぐ帰る。

ローマンタン方面からダサインに供されるためポカラ方面に移動するヤギ。ダサインの前のジョムソン街道は大量移動の時期である。

 ロキシーの原料となるコド(四国ビエ)。ダンプスにて

収穫をまつコド。ロキシーはネパール焼酎

 

 

 踏んでコドの実をとる。ダンプスにて

解体されたヤク。村で分配される。カグベニにて

 水浴兼洗濯場の水道。パタンにて、2005年

ポカラのフェワ湖のダムの下流の河原。好天の休日は水浴と洗濯の最適日。2005年

 糸紡ぎ。山岳博物館の裏に住むグルン族の女性。2005年

紡ぐ前に木綿をしごく

 

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