テント・ピーク (Tent Peak or Tharpu Chuli) 登山報告書(2005年10月) |
はじめに 私事で恐縮だが、ネパールのポカラで2年間働くという僥倖を得た。この機会に好山会の有志でヒマラヤのピークを目指そうということになった。ピークの選定の条件としては、ある程度登り応えがあること、日程の制約があるためポカラからアプローチが比較的短いこと等があげられた。 この条件からまずヒウンチュリ(6441m)があげられた。ポカラから良く見える山である。マチャプチャレやアンナプルナI 峰やアンナプルナ・サウスに囲まれるとやや見劣りはするが山容は良く、NMA(ネパール山岳協会)のクライミングピークの一つである。登り応えがあるどころかかなり難しく、人気のあるアイランドピークなどと違いNMAのクライミングピークの中でも遠征は極めて少ない。
Hiun Chuli, 6441m Chulu East, 6558m Singu Chuli, 6551m 意欲的な計画を立てたのだが、日本に一時帰国している間に心臓に問題があるかも知れないという疑いを得て、管理の非常に厳しい所属する当局から高所登山禁止を受けてしまった。そのため万が一私が参加できなくなっても行ける山として、チュールー・イースト(6558m)を候補として上げた。しかし、この山はフムデかジョムソンまで飛行機を使わないといけないので、欠航により日程が遅れる恐れがある。何よりも日程が長くなり当初の予定していた日数では納まらない。 日本の医者からは登山も問題がないという診断を受けていたが、9月に試しにアンナプルナベースキャンプ(ABC)まで5日間で往復してきた。通常は8日か9日で行くコースである。これならば問題は無いだろうと、もう一つ考えていたアンナ内院の中のシングーチュリ(6501m)、別名をフルーティド・ピークに再度変更した。シングーチュリの方がヒウンチュリより難しいと書いてある本もあるが、記録が多いこと、また懇意にしているエージェンシーの社長からガイドの意見としてはシングーチュリの方がやりやすいとのことでシングーチュリ東稜に決定した。 シングーチュリの数年前の日本人の遠征記録はあったが、最近の地球温暖化によりヒマラヤの氷河は大きく後退して、モレーンや氷河後の不安定な地形による地滑りが多発しており、地形はどんどん変わっている。アプローチは困難になり、行ってみないとわからない状況である。色々と調べてみると日本隊の登頂記録はなく、もし我々が成功すれば日本人初登頂の栄誉(?)が得られるかも知れない、と意欲に燃えたものだった。 今回の遠征はどちらかというとシェルパにおんぶに抱っこという形であり、クライミングシェルパが先行してルートファインディングをし、それを信じきって着いていった。ベースキャンプの設営後、キャンプ1のルートファインディングにおいて、シェルパの求めに応じて地図を貸し、先行してもらった。10日にシングーチュリ東南稜と思われる適当な場所に荷物をデポし、11日にキャンプ1を設営。12日はキャンプ2のルート工作のため稜線に出てみると、目指すシングーチュリは大きな谷の向こうに見える。ここで喧々諤々の議論をした結果、我々のルートは間違っており、恐らくテントピークの東稜またはテント・ピークのやや北側からの東の壁に取り付いていると判断した。このまま稜線を超えて大きなクーロワールを横断するのは困難であるし、稜線を戻ってまた西アンナプルナ氷河沿いからシングーチュリ東南稜に登り返し、キャンプ1を設営するのには2日は有にかかると思われ、日程が足りない。ここにおいてシングーチュリ登攀は断念し、目標をテント・ピーク(タルプーチュリ)5695mに変えた。東側からはテント・ピークの通常ルートではないため、ひょっとして東フェイス初登攀ではないかと思いながら。 そんなことで、シングーチュリ登山が急遽テント・ピーク登山になった次第である。ほぼ登頂はできたが反省すべき点が多かった。今回はこのルートの経験者がおらず、エベレスト登頂2回や、その他の8000m級の経験があるシェルパも初めての山域ではルートファインディングには問題があることがわかった。何よりも自分達の責任においてルートファインディングをしなかったことが一番の問題点であろう。
登山隊の概要 1. 当初目標の山 2. 目標変更後の山 3. 登山期間 4. 登山の目的 5. 結果 6. 隊の構成
<エージェンシー> Guide for all seasons trekking & mountaineering
(P), Ltd. Kathmandu, Nepal
ポカラからマチャプチャレ・ベースキャンプ 10月4日 朝からこの時期にしては珍しく強い雨だった。エージェンシーの一行を乗せたバスがポカラのT宅に到着。車の中はガイドやポーターなど人で一杯であった。人数は聞いていたが、わずか4人のメンバーのためにガイド、クック、キッチンボーイのスタッフ5人とポーター8人の総勢13名が加わると壮観である。次にレイクサイドのグレーシャー・ホテルに行き、Y・K・Iをピックアップした。これで登山隊の全員が揃った。グレーシャー・ホテルを7:55出発。最初は強かった雨もナヤプルに近づくに従って上がってきた。ナヤプルでスタッフの紹介を受けた。ポーターは、マチャプチャレベースキャンプ(MBC)まで我々と同行する荷物隊と、MBCまで直行する別働隊に荷物を配分された。ジンバとツァプテンの二人のクライミングガイドはMBCからのルート偵察を行うために先行した。彼らは2日でMBCまで行ってしまう。 ナヤプル(1070m)9:40発。途中、Kは傘を買ったり、波の紋様の化石のリップルマークを見たりして、ビスターレ・ビスターレ(ゆっくりゆっくり)である。まだシーズン初めのせいかトレッカーは少ない。縦に長いシャウリバザールの真ん中辺のロッジで昼食。ガンドルックに近づくに従いまた雨が降り出した。ガンドルックのサクラロッジに16:20到着。我々4人とサーダーのキパ・シェルパのキャラバン用荷物を担いだ若いポーター二人は薄暗くなってからロッジに着いた。
ナヤプルにてバスから荷下ろしと、ポーターの荷分け 10月5日 曇り時々雨。ガンドルック出発7:30。ロッジの前から直接チョムロン方面に行く道となる。途中にあるガンドルック名物の典型的なグルンの住居も霧で余りうまく写真に撮れず、勿論アンナプルナ・サウス方面も見えない。また雨が降り出した。コムロン(2255m)着8:55で休憩。キムロンの橋に向かって下っているうちに雨も上がってきた。1800mのキムロンからはチョムロンに向かって再び登りとなる。途中キムロンコーラ沿いに大きな地滑り後があり道は大きく迂回している。1〜2年前の地滑りで民家が流され2人亡くなったそうだ。途中でYが衛星携帯電話で日本と連絡をとった。ネパールに来てまでご苦労なことである。チョムロンの入り口でいつもマオイストが集金をしているといわれる場所にはマオイストはいなかった。結局、今回の登山ではマオイストには遭遇しなかった。チョムロンのインターナショナル・ゲストハウス着12:35。Tが以前宿泊したロッジがまだ先にあると思い、宿泊の候補として、下に降って探しに行ったがなかった。下山時に確認したら既に通り過ぎていたことがわかった。記憶は当てにならないものだ。
10月6日 晴れのち曇り。初めてアンナプルナ・サウスとヒウンチュリをクリアに見ることが出来た。チョムロン発7:25。チョムロンコーラの橋まで石の階段を300mほど下る。下山時にはこの急な石段を登り返さなければいけない。橋からティルチェへはまた急な登りである。途中で先行していた我々のポーター2人を追い抜いた。40kg位ある荷物で重そうで喘いでいた。二人ともシェルパ族のラマの修行僧で、一人はポーターをするのは初めてだと後でわかった。さすがシェルパで育ちが違う。普通の人だったらいきなりこんなに思い荷物を担いで山道は歩けない。その若い修行僧も遠征を通じて段々強くなっていった。もう一人の修行僧はポーターの経験があり元から強い。将来はガイドになりたいとのことである。明るい性格で英語もうまいので良いガイドになるだろう。 ティルチェで小休止の後、シヌワでTの馴染みのロッジでお茶。シヌワからは樹林帯のルートとなる。途中のクルディンガー(2540m)のACAPのチェックポストは他のチェックポスト同様、マオイストのために閉鎖を余儀なくされ廃墟となっている。また降ってバンブー(2310m) 到着11:25、昼食をとった。次に休憩をとったドバンのロッジのオーナー夫婦は日本語が上手である。主人は東大宮のホンダの工場で出稼ぎをしており、奥さん共々日本に住んでいたとのことである。宿泊地のヒマラヤ・ロッジ(2920m)には15:10着。外でしゃべっていると段々寒くなってきた。夕方、別働隊のポーターも到着した。 Annapurna South 7219m Machhapuchhre 6997m Lodge, Chomrong 10月7日 曇りのち霧雨。ヒマラヤを7:15発。デウラリの以前泊まったロッジで小休止。デウラリを少し過ぎた所で、急なアップダウンで足場の悪い道を避けるための新しい道を石を積んで作っており、工事支援の寄付をした。バガールを少し過ぎた所にある大きな雪渓のアーチは一月前に比べると一部崩壊して小さくなっていた。マチャプチャレ・ベースキャンプ(3700m)のグルン・ゲストハウスに11:00到着。昼食・休憩後、高度順化のためアンナプルナ・ベースキャンプ(ABC、4130m)に13:50出発した。ABCのロッジで順化と、天気の回復を期待して休んでいたが視界はよくならず、アンナプルナI峰や目標としていたシングーチュリはおろか、近くのテント・ピークやヒウンチュリも見えなかった。MBCへの帰途テント・ピークへのルートを見に行った。サウス・アンナプルナ氷河の融けた大きな圏谷を200mほど下りて、谷をトラバースしないといけないが、踏み跡はあった。MBCには16:10に帰着。 偵察隊の二人のクライミングガイドも戻っていた。シングーチュリ・ベースキャンプへのルートはわかったそうで大体の説明を聞いた。ルートファインディングが重要なポイントだっただけに一安心した。しかしキパがガイドから聞いた話が悪かったのか、私への説明が舌足らずだったせいか翌日行ってみると若干違っていた(彼の英語もうまいとは言えない)。ポーター隊も到着しており、ここに再び全員が終結した。
MBCからベースキャンプ 10月8日 曇りのち薄日のち雨。この日はベースキャンプへの荷揚げ。山中は高度の影響か調子が悪いため、MBCで休養することにした。MBC出発7:13。まずロッジの中を通り、直上する。上にサウス・アンナプルナ氷河からのモディ・コーラの川沿いにサイドモレーン状のリッジがある。リッジに着くと約200m位の急な崖の下に川が見渡せた。サイドモレーンの崖を上流側にトラバース気味に下って行くとサウス・アンナプルナ氷河の末端に着いた。途中は滑落すると川まで落ちてしまいそうで、緊張した下降だった。氷河は表土に覆われて、氷は全く見えず、川の源流となっている。到着時間は8:05。幸い大きな岩伝いに川を渡ることができ渡渉はしなくて済んだ。川を渡るとモレーンや左岸の岸壁から崩れた巨岩を縫って、サウス・アンナプルナ氷河とウェスト及びイーストアンナプルナ氷河からの川の合流点に向かって下降した。重い荷を背負ったポーターは大変だろう。地図ではMBCから直接合流点に向かう道と、合流点の手前に橋があったようだが、MBCから直接下降する道や橋をつけられそうな所は見当たらない。別の地図ではMBCから下りてすぐ渡渉するようになっているがそれも難しそうだ。合流点の少し手前から、東・西アンナプルナ氷河からのモディ・コーラの右岸の崖伝いに登って行った。先行するポーターは遥か頭上にいた。川は狭く深いゴルジュとなっている。 暫くトラバース気味に登って行くと小さな台地があり、ポーター達が時間待ちをして休んでいた。10:30。ここを左に少し下ると先は20m位の岩となっており、既にフィックスロープをつけてあった。ポーター達が次々と下降して行ったが重荷を背負ってでは大変だろう。岩の下からは右岸を川に沿って緩やかな登りとなる。前の日本隊の記録では4月から5月にかけて、渡渉を2回し、雪渓もあったとのことで、全く状況が違うようだ。 上流に向かうと東アンナプルナ氷河と西アンナプルナ氷河からの川の合流に近づき、ルートは西アンナプルナ氷河からの川伝いにサイドモレーンを北上する。3920m付近で休憩。モレーンを登りきると、右に昔の氷河の跡の深い川を見下ろしたり、左からの山の中腹の草原の中の登りである。4100m地点で12:00。草原にはわずかながら踏み跡があり、後に我々が何回も往復する間に立派な道となった。 日本隊の記録では4350mがベースキャンプ、地図では4250mにベースキャンプとなっているが、我々の高度計ではその高度では適地がなく、結局4400m付近にBCを設営することになった。到着時間は13:50。後日、もっと上部にもキャンプ適地があることがわかった。 休憩の後、クック等を残し我々はMBCに戻った。南アンナプルナ氷河との合流付近から雨となった。またこの日は緊張しながらの登りで行程がきつく、巨岩を縫い、更には雨の中を最後のMBCへの崖の登りで疲労が激しかった。MBC到着は18:00。 MBCに戻ると更にハプニングが待っていた。我々は荷物を置いていったのだから、当然また戻って宿泊するということで支払いもせず、宿にも何も言わなくて朝出発した。ところがこの日は宿泊客が一杯で、また宿の親父は帰って来ないと思い、二部屋のうち一部屋にはYと4人の荷物を詰め込み、一部屋は他に提供してしまった。Yは英語の通じない悲しさでなすがままとなってしまった。ロッジの親父に日本人は金を払わずに、しかも荷物を置いて行くことはない、と抗議したが後の祭り。さて4人も一部屋に寝る訳にはいかないしと困った。幸い食堂の隣の倉庫部屋にはマットがあり寝られるようになっているため、Tはその部屋を提供され、しかも無料にしてもらって寝ることができた。
South Annapurna Glacier の末端 河を渡ってから左岸を下流に West Annapurna Glacierからの合流点
West Annapurna Glacier からの峡谷 河原にロープダウンで下りる 10月9日 晴れのち曇り。この日はベースキャンプに移動である。Yの体も回復し、同行することになった。MBC出発8:22。川横断9:10、フィックスロープの岩壁10:30、西・東アンナプルナ氷河からの川の出合の少し上に11:20、4000m地点11:55でBCには14:05に到着した。BCはやや傾斜があり、テントの中も傾斜している。Kがこれじゃ寝られないわよと文句を言ったら、ツァプテン始めポーターが整地をしてくれた。整地の道具はピッケル。折角のピッケルも傷んでしまうが彼らは気にしない。TとIのテントもついでに整地しなおしてくれた。快適にはなったが、草を根ごと引き抜くためこの高地では植生が回復するのに時間がかかるだろうと気になった。テント設営後、4500m付近まで高度順応のため出かけた。曇っていて展望は利かないが快適な草原である。また無線を持っていき、キパと交信テストを行い問題が無いことを確認した。BCに戻ると傷の薬がないか、と聞かれた。ポーターが整地のための草を切っている時に自分の指まで切ってしまい、布で押さえて止血している。傷はやや深く布を取ったら血が出てくる。薬を自分でつけさせ、救急絆創膏と包帯で巻いてやった。その後快方に向かい、彼はズーッと感謝していた。 夕食は初めてクックの料理である。専用のキッチンテントもある。今までいつも同じようなロッジの食事に飽きていたが、クックの料理のうまいこと!また、日本人にあった味付けで一堂感心、感激。たらふく食べた。
ベースキャンプからハイキャンプ(C1)へ 10月10日 晴れのち曇り夕方雪。BCからキャンプ1特定と荷揚げ。8:25、BCを出発。西アンナプルナ氷河の右岸の山腹沿いに緩やかな草原の登りである。西からの涸れた沢を越えながら行く。途中には夏の放牧のためのカルカがある。ガンガプルナ方面からの沢との出会い、4590mに9:20着。そこから東南稜からと思われるリッジに取り付いた。二人のクライミングシェルパは先行している。高度を上げるに従いガレ場の中に白い綿毛に覆われた、憧れのサウスレアの仲間が出てきて写真を取り捲った。既に葉は茶色くなっている。枯れたブルーポピーもあった。そのうち雪が降り始めた。5000m付近は平らになっている所があり、積雪もあった。周囲はガスって見えない。ここにテントを張り、装備をデポした。帰りはやや南向きの派生尾根を下った。BCにはショートカットとなる。BCの北、カルカの更に北方の大地は広い平坦な台地になっており、近くには水も流れているキャンプの適地である。錆びた缶など昔のキャンプのゴミがあった。BC着14:20。雪が数センチか積もり、BC付近は銀世界。やっとヒマラヤに来た雰囲気となってきた。
10月11日 快晴のち午後より曇り。この日はC1への移動である。この日はハプニングの多い日であった。前日は上には行かないと言っていた山中も、朝起きてから快方に向かい一緒に行くことになった。出発の前に全員で記念撮影。いよいよ遠征らしくなってきた。出発前にピッケルを持っているとキパが、「Tさん、ポーターにピッケルを貸してほしい」と言う。一瞬不吉な予感がしたが、自分はストックを使うからといいやと貸した。ガイドやポーターが先行し、我々はBCを8:50に出発。雪も大分融けてきた。途中いくつか沢を越え、比較的大きな沢に下りてまた沢の上の台地に登る傾斜地で、ポーターが案の定ピッケルで足場を作っていた。うまく道ができただろうと言うので、この野郎、人の大事なピッケルを鶴嘴に使いやがってと思いながら、「もう雪もないから要らないだろう」と言って取り返した。 さて、登るルートは昨日下ったルートを使った。踏み跡はちゃんとあり、下部は草原状で登りやすい。高度を上げていくと山中が遅れだした。サポートしていたIが、先に行かれるといざという時にサポートに困ると言うので、全くその通りと一緒に行くことにした。片倉は、「ビスターレ、ビスターレ」と言っても、ローギアに変換してゆっくりと歩くことが出来ない性分のため、キパと先に行ってしまった。 キャンプ地は昨日の候補地より更に上の5100m付近の岩場となり13:15到着。傾斜は若干あるが大きな岩の上である。ここなら東南稜と思われる稜線にも近い。クックとキッチンボーイは頭痛のためBCに下り、代わりにポーターが一人残った。シェルパは昔キッチンボーイから始めているため料理は上手である。食事後、稜線に上がってみるとシングーチュリらしきピークが見えた。 さて、テント場でキパがスノーバーに通すシュリンゲを出してくれと言いながらせっせと結わえていた。代理店の社長のJP氏との打ち合わせでは、個人装備としてのシュリンゲは用意しているが、共同装備としては計画に入れていなかった。キパは何故シュリンゲを持っていないのか、俺はこんなに持っているんだぜと見せびからした。我々も勿論持っていると言いつつ、皆シュリンゲは大事にしているだけに躊躇したが、背に腹は変えられないため供出し、スノーバーにシェルパ共々結わえた。 さて、キャンプ2のテントについて、我々は日本から持参した二つのテント予定していた。ところがキパがシェルパ用のテントを一つ貸して欲しいという。JP氏との打ち合わせでは、シェルパはC1のテントをC2に使うと聞いていた。キパがご機嫌斜めになってきたため、落ち着いて説明した。JP氏の批判も飛び出したが、キパとJP氏の連絡の問題、また、我々とスタッフと直接確認する場が無かったのも問題かもしれない。結局、C1のシェルパ用テントを上げることになったが、事前に確認すればBC用のテントを上に上げることも出来ただろう。キパの機嫌を損ねたもう一つの理由は、昨日C1には行かないと伝えておいた山中が急遽行くことになったことに、問題が起きたら困るということもあったようだ。キパは、気は優しいが短気なのが玉に瑕である。
Base Camp Base Camp出発の朝 Machhapuchhre and the Moon Gandharwa Chuli 6248m Left:Gangapurna, Right Annapurna3 High Camp 10月12日 快晴のち晴れ。この日はC2のルート偵察である。C1から稜線に上がると、シングーチュリが眼前に聳えていた。ところが、この稜線との間には大きなクロワールがあり、昔は氷河で埋め尽くされていただろうが、下部は融けて岩や土がむき出しとなっている。我々がいるのが東南稜だとすると、この稜線をクロワール側に下りてクロワールを横断して更に東稜に取り付くことになるが、記録ではこんなに大きなクロワールはない。この稜線を乗越して更に氷河の跡の岩場を横断するのは大変である。また、眼前の山はシングーチュリではない、と言い出した。あの姿は紛れも無くシングーチュリであった。しかも地図で廻りとの位置関係を見ればまさにシングーチュリでかない。 変な理屈を出されてあれはシングーチュリではないと言われ困ったが、こちらも現在地が東南稜と信じきっていたため、確かに辻褄が合わないことはあった。喧々諤々の議論の結果、ここはシングーチュリ東南稜ではなく他の稜線だとすれば全てが納得がいくことになり、一件落着した。 結局、クライミングガイドを信じきって確認もしようとしなかった我々が悪かった。彼らはこのエリアの山は初めてであるし、エベレスト登頂2回の猛者シェルパといえども読図は確かではない。またシングーチュリ登山の地図も5万分の一の地図をおおまかに拡大しただけであるから非常に不正確であり、顕著な稜線も地図からは殆どわからない。ヒマラヤ登山のあり方がよくわかった。自分達で責任を持って登ることであり、未知のエリアの場合、出来れば少しでもエリアを知っているガイドがいれば心強い。 ここから稜線を元に戻ってシングーチュリの東南稜にC1を建設するには、2〜3日かかりそうであり、更にC2を建設するとなるととても日数が足りない。我々はテント・ピークの東の稜線に居るのだろうということになり、目標をテント・ピークに変更することにした。ここからピークまでの高度差はせいぜい4〜500mであり日帰りでアタックできる。東側からの日本人初登頂、また東側からからテント・ピークを狙う物好きはいないだろうから、ひょっとしたら、東フェイス初登頂かも知れないなどと思いながら。ガイドは明日のためにルート偵察に出かけた。我々も程なくして雪の傾斜を今回初めてアイゼンを履いて足慣らし。それぞれ適当にキャンプに引き上げて、久し振りにのんびりとした。後で聞く所によると、ジンバは雪崩れによって少し落ちたらしいが事なきを得た。 さて、ここでガイドの紹介をする。サーダーのキパ・シェルパはジュンベシ出身。日本の地質学者との調査や氷河調査に同行した経験が豊富。プモリやチョラツェ、ロブジェなどや、アイランドピークなどは何回も登っている。普段はトレッキングガイドが多い。ジンバ・シェルパは他のエージェンシーからの助っ人。50歳過ぎで遠征の経験豊富、エベレスト登頂2回、エベレスト遠征は数回、その他K2など8000m峰の経験も多いベテランである。相棒のツァプテンによると、歳で余り体力が無いと茶化す。さてツァプテン・シェルパはキパと同じジュンベシの出身で家が近い。一番若く、大きな遠征の経験はまだ少ないがNMAのクライミングピークはいくつか登っている。これから経験を積んで伸びるだろう。
幻のSingu Chuli Tent Peak (Tharpu Chuli) Tent Peak from ABC
頂上アタックとBCへ帰還 10月13日 快晴。頂上アタックの日である。この遠征中で最高の良い天気であり、周囲の山々が全て見渡せた。朝5:50にキャンプ地を出発。メンバーはT、K、Iとキパ、ジンバの合計5人である。キャンプちからはやや北に登って稜線に出てから西に向かう。テント・ピークとシングーチュリの間の稜線に向かって英語の表現でいけばフェイスを登り始めた。途中までは昨日登った所であるから気が楽である。バンド状の雪が少ない所を2ヶ所越すと、小さなクレバスがいくつかあった。雪壁からはロープがフィックスしてあった。暫く行くとテント・ピークとシングーチュリの稜線に出た。昨日ジンバが雪崩にあった所がきれいに崩れていたが規模は大きくはなく、下も平らになっているので流される心配はない。ここからはジンバがルートを開きながら登る。結構傾斜はきつい。アンナプルナI峰の南壁が良く見え、ガンガプルナ、アンナプルナIII、ガンダルワチュリ、マチャプチャレの眺望が素晴らしく最高である。そして幻と終わったシングーチュリが見えた。シングーチュリの西稜や南稜は確かに難しそうだ。また南東稜から頂上にかけての稜線は険しそうで確かに直登は無理だろう。一旦、東南稜からここからは見えないクロワールに降りて、東稜ないし北東フェイスから登るのもわかるような気がする。雪壁やかなり狭い稜線を登っていくと、10:30に頂上に着いた。厳密にいうと小さなコルの先にもう少し高いピークがあり、登れないこともないが危険を伴いそうなのでここで登頂とし、記念撮影をした。真の頂上からはABCが見えると思われるが、ここからは残念ながら見えない。本当にテント・ピークであるかは若干の不安はあるが、標高や位置関係からまず間違いはないだろう。さて、下降は早い。スノーバーやロープの回収はシェルパにまかせ、昨日から馴染みのアイゼンの着脱地点には11:30、ルートを間違えながら、フラフラとハイキャンプに着いた。 キャンプには既にBCからポーターが着いており、昼食を済ませた後、撤収の準備。燃えるものは焼却し、下山開始、13:00。BCには14:40に到着した。使わずに残った装備が大分あったので、一部メンバーの希望者に分けた。
Climbing (Zingba) Climbing (K) Ascent Annapurna 1, 8091m Macchapuchhre 6997m Gandharwa Chuli 6248m View from the Top
ベースキャンプからポカラ 10月14日 快晴のち晴れ。今日から下山。予定された山ではなくとも登頂したので気分も軽やかであった。荷物を片付け、燃えるものは焼却処分した。8:50にBC発。何回も沢山の人が往復した道には立派なトレイルが着いていた。MBCに12:30に到着し、昼食。ヒマラヤには15:15着。食糧が余っていたため、テント泊とし、食事もクックの料理を食べることができた。
Base Camp 撤収 MBCへ 当初目標だったHiun Chuli 10月15日 曇りのち晴れ。 ヒマラヤ発7:25。シヌワ着11:45、いつものオバちゃんのロッジで昼食。チョムロンの長い階段の登りは疲れた。登る時に泊まったゲストハウス着14:30、長い休憩をとった。ジヌー着15:40。キパの機転でクックを先に走らせ、何とか予定のロッジが取れたが一杯であった。韓国人が多い。久し振りにジヌーの温泉につかることが出来た。タトパニの温泉より少しぬるいが、きれいで自然の眺めが良く雰囲気は良い。ややロッジから遠いのは割り引いてもよい。夜は最後の晩餐。チップを渡し、多すぎるかなと思いながら注文した料理もあっという間に平らげられた。毎度のことではあるがポーターの大食漢には呆れる。興が乗った所でシェルパダンスを披露してくれた。
10月16日 晴れ。ジヌー発8:00。シャウリ・バザールに12:00到着し昼食・休憩。ナヤプル到着は14:30頃。15時過ぎにナヤプルを出発しポカラのホテルに17:00頃着いた。ホテルで3人を降ろし、Tの家経由でバスは帰った。 終わり
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